はじめの一歩通信vol.54〜三重県と鍼灸〜
私が所属する三重県鍼灸師会は、創立60周年を迎えました。
先日、記念式典を開催したのですが、その中で「三重県の鍼灸の歩み」というものをまとめる担当者になり、色んな資料と格闘しながらVTRを作成しました。鍼灸業界にとって、大きな役割を果たした三重県出身者の業績をみなさまにご紹介したいと思います。
鍼聖 杉山和一
日本の鍼は、刺入痛を減らす工夫として、鍼管というものを使います。鍼管で皮膚を広げてそこに素早く針を刺すという素晴らしい工夫です。
これを発明したのが、津市出身の検校・杉山和一(検校とは、盲人の最高位役職)です。もともと手先が不器用で、覚えも悪かった和一は、師匠に破門を言い渡されます。失意の元、江ノ島弁財天に詣で、断食修行に励みその帰りに山道で転倒したときに手にした松の葉っぱが管に入っているのを見て管鍼法を思いつきます。
和一は、盲人教育にも力を注ぎ、世界初の視覚障害者教育施設「杉山流鍼治導引稽古所」を開設し、たくさんの優秀な鍼師を世に生み出しました。
石川 日出鶴丸博士
世は第二次世界大戦が終わり、アメリカ進駐軍の占領下で、新しい日本の形作りが進んでいた時代です。
近代化を進めるGHQが鍼灸廃止令を検討している中、三重県立医学専門学校校長(現三重大学)の石川博士はGHQに出頭し、鍼の科学的なエビデンスを示し、実際に鍼治療を行なって見せました。それでGHQは納得し態度を一変させ、そこから全国的な鍼灸存続運動に繋がり、鍼灸廃止令の取下げに至ったそうです。
その後も、鍼灸技術の向上や、発展に重要な役割を果たした先輩方が三重県から排出され、現在も活躍されています。この風土を継承し、発展させていくのが私の役割だと感じています。
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